2014年8月25日月曜日

John Chang 先生をお迎えして

本日(8月24日)の礼拝に、IJCSの創設に深くかかわった
John Chang 先生をお迎えしました。
18周年記念礼拝のときに紹介した日本軍による辛酸を経験しながら、
シンガポールにいる日本人への伝道のために、宣教師を送ってもらうように頼んで欲しいと、息子のJohn Chang牧師に託し、John Chang 師はたびたび日本を
訪れて、日本バプテスト連盟に宣教師派遣を要請しました。
 

   そこから宣教師派遣によって、IJCSがスタートして18年。
1年半、忙しくてIJCSに来られなかったことを申し訳なかったと、
メッセージが始まりました。
伊藤牧師がJohn Chang 先生と日本で出会ったのは1988年頃。
あの頃とまったく変わらない熱い情熱と親しみのある
お人柄、語られるみ言葉に感謝でした。
昨日(8月23日)は、IJCS恒例のバーベキュー。
多国籍メンバーで、シンガポールのバーベキューを楽しみました。
マレーのサテイ(Satay)という焼き鳥のような串焼きも焼きました。
ソースがピーナッツペーストです。
 


子どもたちはプール遊びも満喫しました。
 



食べる、しゃべる、食べる。

 


シンガポールはランタンフェスティバル(ムーンフェスティバル)
の時期でもあります。ちょうちん(ランタン)を飾り、
月餅を食べて、シンガポールの行事も味わいました。


2014年8月11日月曜日

Word of Life 韓国教会との合同礼拝

8月10日の礼拝は,Worf of Life 韓国協会とIJCSの合同礼拝を行いました。
8月15日は日本の敗戦記念日であると同時に、韓国の独立記念日(光復節)です。日本の35年におよぶ植民地支配で韓国の方々が受けた苦痛や傷は本当に深いものでした。日本語を使用することを強制され、名前も日本名に改名(創氏改名)させられました。天皇や神社参拝をしないということで、キリスト者はより激しく迫害を受けました。 
 今、また、独島(竹島)問題や、いわゆる「従軍慰安婦」問題で、両国の溝は、深くなっています。
このような時だからこそ、今回、韓国と日本の教会が共に礼拝をささげ、悔い改めや和解、隔ての中垣を越えさせる、聖書の福音を共に聞くことは、意味深いことでした。
 午前10時と12時の2度、伊藤牧師が、Word of Life 教会で英語でメッセージをし、ハン・ジュンイル牧師が通訳をしてくださいました。
ハン牧師は神学生時代からIJCSのメンバーとしてIJCSに加わり、日本人への伝道・牧会に心を砕いてくださいました。特に2度のIJCSが無牧師であった期間、ハン先生の存在なくして、IJCSは2度の無牧師期間を乗り越えることはできなかったでしょう。

Word of Life 教会の理解のもとに、しばらくはIJCSでの説教も担ってくださいました。
Han 牧師を送ってくださった主と、Word of Life 教会にあらためて感謝しました。

 



礼拝後は、韓国教会のみなさんの手作りの韓国料理のランチを楽しみました。
IJCSからは劉ブンチクさん、Esther Tan さん、Mervyn Chan さんも出席しました。
 そして、4時からはIJCSの礼拝に、
なんと 32名もの方々が来てくださいました!
子どもメッセージに聞き入るIJCSの子どもたち。 韓国教会のみなさんも日本語で語られるアブラハムのお話を想像力を駆使しながら、聞いておられました。
(通訳の機会が18名分しかなく、みなさんに回りませんでした)
 



聖歌隊も10数名の方々が来てくださり、とてもすばらしい賛美でした。
韓国教会は賛美と祈りがなにしろ力強いです。
「君は愛されるため生まれた」を会衆も一緒に、日本語と韓国語で歌いました。
ハン・ジュンイル牧師のメッセージは、マルコ12章28~34節「神を愛し、隣人を愛す」でした。
隣人としての韓国と日本のつながりを交え、神を愛するということと、隣人を愛することとは、ひとつのことであることを、聖書のいくつもの箇所を引用しつつ、丁寧に御言葉から語ってくださいました。
ハン先生の聖書の言葉を大切にするメッセージに、IJCSは養われてきました。

礼拝後のフェローシップは、日本のお菓子にみなさん、大喜び! あっという間になくなりました。韓国教会は若い人たちが多く、若い人たちの賛美チームを作り、そこで、若い人たちが育っているようでした。ボランティアの牧会者Minister が8名いて、子ども伝道、Youth,海外伝道、などなどを分担しているということです。
ハン牧師とIJCSメンバー。
IJCSのメンバーも中華系シンガポール人、マレーシア人も増え、借りている教会もシンガポール連盟の中華系教会です。
IJCSの存在そのものが、アジアの人たちの赦しの中にあり、今、アジアの多国籍の人たちと共に礼拝をささげている。
なんとありがたいことか、と感謝でいっぱいでした。