バプテスマ式

           今日は、喜びのバプテスマ(洗礼)式がありました。





たくさんのお友だちがお祝いに来てくださいました。
Confession of Faith   by M.I 14 May, 2017
 I believe that I am a sinner.
I believe that God sent his only Son to die on the cross to pay for my sin.
I can talk to Him.  He makes me Happy. Jesus rose from the dead. He lives with us.I want to go to the Church.Thank you Jesus for my family.
 
わたしは神さまの前で罪人です。
わたしは神さまがひとり子をわたしの罪のために十字架につけてくださったことを信じます。わたしは神さまとお話することができます。神さまはわたしを幸せにしてくれます。イエスさまは死から復活されました。そして、今もわたしたちと一緒に生きています。わたしは教会に行きます。神さま、わたしの家族をありがとうございます。
信仰告白 by M.I
私がキリスト教を知る大きなきっかけは、2年数ヶ月前、シンガポールに移り住み、3人の娘がICS (International community school)に通い始めたことです。
ICSはクリスチャンスクールで、学校の先生、スタッフ、多くの家族がクリスチャンです。優しく思いやりがあり、人助けを苦としない人達との巡り会いが私の心に少しずつ変化をもたらしたのだと思います。
 子供達が持ち帰る聖書が私にとり初めての聖書でした。興味本位に読んでも全く心に響くものがありませんでした。
その頃、親の為に開かれているバイブルスタディに誘ってもらい、お友達を作る目的もあり参加するようになりました。そこを通し、沢山のクリスチャンのお友達ができ、今も尚、多くのお友達に恵まれ、みんなに支えられています。彼らの自然な優しさ、思いやりのある言動や行動に人として心より尊敬しています。この教会のNg久美子さんともこの学校で知り合いました。
 昨年の夏、2年程, 癌と戦ってきた母の容態が悪化し、急遽帰国することになりました。その時も多くのお友達が心より祈り、励まし、支えてくれました。
母は還らぬ人となりましたが、母の死を通して、命、死、宗教について深く考えるようになりました。その時、私にはキリスト教の教えがすんなり心に入ってきました。
そして、母の49日法要も済ませ、心の整理もつき、シンガポールに戻ってきました。
その頃、Kさんからスモールグループでのバイブルスタディのお誘いを頂き、参加するようになりました。そこで、I先生を始め、IJCSの方々とお知り合いになりました。
改めて、日本語で聖書を読み進めていくうちに、聖書の内容の深さを感じました。
そして、自分の現状に語りかけられているような感じを受け、さらにイエス様の事を知りたいという気持ちになっていきました。
 私は聖書で言われている罪人とは何かということを疑問に思いました。罪人というと何か犯罪を犯した者のような重い言葉です。しかし聖書の中で言っている罪人とは『不信仰な人間』の事だと言われています。アダムとエバが神様の言い付けに逆らったところから、それが人間の心に入り込み、生まれてくる人間は全て、不信仰な性質を持って生れてくるようになったと知りました。
私は常に心に満たされない何かを感じていました。恐らく多くの人間がそうだと思います。聖書からいうとそれは信仰を持たない罪により、心のよりどころを失わせていることでした。まさに私は44年間信仰を持たない罪人でした。
 私には多く恵みがあり、生まれたときから何不自由なく育ち、そして今は愛する主人と子供達に恵まれ幸せに過ごしているにもかかわらず、普段の慌ただしい生活に追われ、多大なる恵みをみすごしがちでいました。当たり前にある小さな恵みも決して当たり前ではないことに気づかされました。今おかれている一つ一つの事に感謝できる気持ちになったのはイエス様を知ることができたからだと思います。それは苦難でさえも同じことだと思えるようになりました。
母の死から一年も経たないうちに、3月の初旬、突然辛い現実を再び突きつけられました。それまでいたって元気でいた父が、ちょっとした体調不良により病院を訪れたところ、末期ガンと告げられ、治療方法がないので家に帰り準備をするようにとお医者様に告げられたことでした。本人は勿論、家族も突然の出来事に動揺するばかりでした。
母の時と同じように、遠く離れ何もできない自分の無力さに心が押しつぶされそうになる時もありましたが、家族支え、学校のお友達、教会の皆さんが祈り、励ましてくださったことにより日々、自分を見失わないように過ごせたと思います。それと同時に、そんな時に読む聖書はいろんな言葉を私に投げかけてくれました。
 
聖書では、神は、私達が成熟するように難しい状況を用いると約束しています。
これは、まさに今の自分が置かれている状況は神が私の成熟の為に与えてくださっている試練ではないかと受け止められるようになりました。
ヤコブ1章24節には、このようにあります。
『私達の兄弟たち、色々な試練に出会う時は、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなた方は知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。』
聖書の言葉は、私の心の支えとなりました。
そして、413日父も還らぬ人となりました。
両親の死を通し、今まで以上に死について考えるようになりました。どんな形であろうがいつかは自分にもやってくる神様だげが知っている日です。
以前は、死んでしまえば全てが終わってしまうという恐怖でいっぱいでした。
しかし、聖書の教えでは、日々を大切に神にしたがい良いものとして生きていけばその先には良いことが待っている。それは、天では神と共に生きる命を知る平安があるということだという教えに、今では希望を持てるようになりました。
まだまだ、悲しみが突如として襲ってきますが、人生を全うした両親のことは、神様に委ねていくしかないと、考えられるようになりました。
親の苦しみを見るのは子供にとり、とても悲しく辛いものでありました。しかし、これらの苦難も神からの恵みの一つと受け取り、そして親が最後まで子供に生き方を教えてくれたことも、神からの愛情なのだろうと解釈し、感謝の気持ちを持ちながら、日々を大切にし、これからも起こりうる、難しい状況をも忍耐強く受け止めていこうと思います。イエス様が必ず私のそばにいてくださることを信じて。
 
今日この日を迎えられたのも家族の深い理解と支え、そしてI先生をはじめ、多くの尊敬できるクリスチャンのお友達に恵まれ、支えられ、導かれてここまで来られたことを心より感謝します。 
イエス様が私達の罪を背負い十字架にかかり殺され、三日後に復活し、私達の救い主として今も尚、人々の中に生きていることを信じます。
 


 
 

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